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ホタテ貝



ある日の授業でのこと。
「北海道のサロマ湖では、ホタテ貝の養殖が行われていて……」
「先生!」
「おう、どうした。」
「ホタテって、貝なんですか?」
「そうだけど、何だと思ってたの?」
「魚だと思っていました!」

さすがにビックリしました。
詳しく話を聞いていくと、ホタテは寿司ネタになっている姿しか見たことがないそうで、他のマグロなどと同じように、海を泳ぐ魚だと思っていたそうです。改めて、常識を身に着けることの難しさや大切さに気付かされました。


人々の持つ知識というのは、3つに分けられるものだと思っています。
生きていくうえで当たり前に知っているはずの“常識”、受験の際に学ぶ“学問的知識”、試験で問われるわけではないが知っていると人間性を深めてくれる言わば“教養”の3種類です。上述のホタテ貝は“常識”に分類されるのではないかと思いますが、この3つのカテゴリの境界は曖昧な部分もあると思います。例えば「馬の耳に念仏」ということわざは“常識”でしょうが、では「六日の菖蒲、十日の菊」はどこに分類されるでしょうか。人によって異なるかもしれません。
啓明館では主に“学問的知識”を教えるわけですが、それは“常識”の上に成り立つ部分が少なからずあると思っています。例えば算数のツルカメ算。問題文には「ツルとカメがあわせて△匹いて、足は合わせて〇本です」とあるわけで、問題を解くためには「ツルの足は2本でカメの足は4本」という“常識”がなければいけません。もちろん授業の中でそういった“常識”に触れる機会もありますが、すべて教えられるかと言われると、いささかの難しさは否めません。

では、その“常識”はどのように身に着ければよいのでしょうか。

私の友人に、塾や予備校に一切通わずに東北大学に現役合格を果たした強者がいるのですが、その友人に冒頭のホタテ貝の話をしたら、友人は「母がスーパーに行くのによくついていった」という話を始めました。連れていかれたスーパーで、野菜や魚介類がどのような姿をしているのかを知ったんじゃないかなぁということでした。余談ですが、友人は割引・割増の感覚もスーパーで養ったそうです。
また、これは教師の間でしばしば話題に上がるのですが、「語彙をどのように養ったか」と考えると、多くの場合テキストを開いて「よし覚えるぞ!」と勉強したというよりは、読書やテレビ・ラジオなどの言語生活の中で自然と身に着いていった部分が大きい、という結論に至ります。


となると、“常識”を身に着けるには、“常識”に触れる機会をどのように作るか、ということに懸かってくるのかもしれません。私の友人のようにスーパーに行くことはもちろん、本を読むことも大事ですし、テレビやマンガも有効でしょう。時にはゲームだって一助になるかもしれません。また、家を飛び出して博物館や水族館を訪れ、過去の文物に触れたり生き物の姿を目にしたりすることも大変に有用だと思います。その際に、知っている限り、または話せる限りのことを我が子に話してあげることも、子どもたちの知的好奇心を喚起し興味関心を引き出すという点において、非常に意味のあることではないでしょうか。啓明館で実施している種々のイベント(例えば以前紹介したおさんぽツアー。詳しくはコチラをご覧ください)もその目的に合致した取り組みと言えるでしょう。

大事なことは、子どもと関わる人間が、子どもたちに様々なことを知ってほしいという意識を持つこと、または子どもたちが様々なことを知るように仕向けることなのだと思います。

啓明館の授業が、子どもたちに様々なことを伝え、子どもたちが様々なことを知ろうとするきっかけを与えられれば、こんなに嬉しいことはありません。その意識をもって、今日も授業をしようと思います。