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試験といえば



啓明館の2学期は、4~6年生にとって試験というものを意識させられる時期です。
4年生は、「隔週テスト」が2週間に一度実施されるようになり、啓明館の特徴のひとつである2-2-1システムが導入されました(詳しくは、公開説明会にご参加いただくか、https://keimeikan.co.jp/teaching/fbi/にアクセスしてください)。
5年生は、これまで授業時間内で実施していた隔週テストが日曜日の午前中の実施に切り替わりました。
6年生は、多くの生徒にとっておそらく初めての外部模試を経験しますが、それ以上に、言わずもがな、入試というものを否が応でも意識する季節でしょう。

試験といえば中国で実施されていた“科挙”が思い浮かびます。「科目による選挙」という意味で、ざっくり言えば試験に合格することで役人になれる、というものです。今からおよそ1400年前の隋の時代に始まりました。それまでの役人は地方の有力者の推薦によって決まっていたので、試験による人材登用というのはある意味で「公平」だったのかもしれません。競争率は非常に高く、時代にもよりますが最も高い時で倍率がなんと3000倍! 中学受験の倍率がかわいく思えてきますね。
科挙の試験科目は小論文、経書(当時重要とされていたテキスト)の解釈、詩文の能力だったのですが、これがまた難しい。そのためカンニングが後を絶たなかったそうです。例えば、豆本という手のひらに収まるくらいの小さなカンニングペーパーを作ったり、身に着ける下着にびっしりと経書を書き込んだり。しかし、科挙は建前の上では皇帝が直々に行う試験だったため、カンニングが発覚した場合厳しく罰されました。動機や手口によっては死刑になることもあったとか。なぜそんなリスクを冒してまで合格をしたかったのかというと、科挙の合格者が出ると本人のみならずその親類までもが重んじられ、莫大な利益と名誉がもたらされたからだそうです。

そんな中で様々な言葉が生まれました。例えば「蛍雪の功」。貧しくても科挙の合格を志し、蛍の光や月明かり雪の反射などを利用して一心に勉学に励む。その苦学生は見事合格し出世します。
或いは「破天荒」。豪快で大胆な様子、と勘違いされがちなこの言葉ですが、本来の意味は違います。荊州という場所で科挙の合格者が出ておらず、その状態は未開の地という意味で「天荒」と呼ばれるほど。しかしある時、劉蛻(りゅうぜい)という人物が試験に合格し、それを「天荒を破った」と言い表して喜んだことがこの言葉の由来です。意味は「まだ誰も成し遂げていないことを達成する」です。

誰でも、試験の結果がよくなかったであるとか思うような成績がとれなかったとか、上手くいかないことってありますよね。特に6年生の今の時期は、夏期講習にがんばった成果がなかなか数字に表れずに歯がゆい思いをしていたり、学校行事が忙しくて心身ともに疲弊していたりするかもしれません。そういう時には心の余裕がなくなり、落ち込み、ともすればかわいそうな自分を憐れんでしまいがちです。
しかし、そういった逆境を好機ととらえ直向きに努力を継続できれば、その努力はきっと報われるだろうことをこの言葉たちは教えてくれます。上手くいかない時こそ、その人の価値が試されているのでしょう。目の前に立ちはだかる壁から逃げるのか、ズルをしてやり過ごすのか、それとも試練に立ち向かいその先に待つであろう幸福や達成感に胸をふるわせるのか。将来の「学力をもって社会に貢献する人材」である啓明館生であれば、必ずや目の前に試練に立ち向かってくれること、そして必ずやその試練を乗り越えてくれることと信じています。

入試まで残り100日を切りましたが、まだまだこれからです。