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お口上



先日の授業で6年生に、以前武蔵中学などで出題された青木玉『小石川の家』を紹介しました。筆者の青木玉は高名な文筆家である幸田文の娘で、明治の文豪・幸田露伴の孫です。紹介したのは、玉が露伴の妹の家に贈り物を届けに行く場面。贈り物を渡す際のお口上をどうするのかと母が玉に問います。要領を得ないことしか言えない玉は母に厳しく指導されますが、その甲斐あってか、見事にお口上を披露する、というあらすじです。

お口上という言葉は、その場面に応じた決まり文句、くらいに理解されるかと思いますが、もちろん子どもたちの世界にはあまり出てこない言葉でしょう。だから、例を挙げて説明しようと思い、「学校の職員室に入る時に、〇年の〇〇ですが〇〇先生に用事があって来ました、とか言うでしょう?」と問いかけてみると、半分くらいの生徒は無いと言うのです。もちろん、本当かどうかはわかりません。ですが、学校の教師という目上の人に対する言葉遣いは丁寧にするべきだし、少なくとも啓明館では目上の人たちに対する礼儀礼節を重んじます。『小石川の家』のお口上も、なんと面倒な挨拶をするのかという反応の生徒もいました。そこで、良い機会だと思って目上の人に対する言葉遣いをしっかり見直そうねという話を生徒たちにしてみました。将来彼らが大人になった時に、その場に応じた言葉遣いができていない人間はそれだけで損をしてしまいますから、目の前の子どもたちにそんな経験はしてほしくない。そんな思いからの指導でした。


後日、授業で使用するテキストを忘れた生徒がいました。それまでであれば「センセー、テキスト忘れたーー」という何ともだらしない言葉遣いになって教師に指導されていたかもしれませんが、お口上の話をした効果なのか、「先生、読解のテキストを忘れてしまいました」とちゃんと言えるではないですか。テキストを忘れたのはいただけませんが、しっかりとした言葉遣いができています。

とはいえ、小学生ですからまだまだ甘いところも。申込書を教師に手渡す際に、何も言わずに、しかも片手で渡す生徒もちらほらいます。そこを指摘し、正しい所作を教えるのも、教育塾を標榜する啓明館の教師の役目なのかもしれません。

思えば、卒業生でしっかりとした言葉遣いをしていた生徒がいました。面談期間中だったでしょうか、ある生徒がある教師のところにやってきて「先生、母が面談の予定を組んだと思いますが、その日は都合がつかなくなってしまったようです。もう一度面談の日程を組みたいと伝えてほしいと言われました」。立派な言葉遣いですよね。今啓明館に通っている生徒にもこういう言葉遣いができるようになってほしいし、素直な彼らですから、我々が情熱を以て指導すれば必ずや応えてくれるでしょう。


適切な言葉遣いや所作というのは、人と人とが関係を結ぶうえでとても大切なものだと思うんです。決まりきった形式的なものかもしれませんが、そういった「型」によって支えられるものはきっと大事な内容ではないでしょうか。『小石川の家』でいえば、お口上を述べる(そしてそのお口上を練習する)というのが社会の一員として認められるためのひとつのイニシエーションであるように感じられますし、前述の職員室に入る際の挨拶で言えば、その口上があるおかげで、教師と生徒という社会的関係が醸成されるはずです。伝統的に日本文化の中で形作られてきた挨拶を口にすることで、円滑なコミュニケーションが可能になるという側面もあるかもしれません。

啓明館で言えば、教師に対して適切な言葉遣いをする。良い姿勢で授業を受ける。登下校に際しての振る舞いにも注意する。子どもたちを立派な大人に育てるために、こういった勉強以外のことも啓明館はこだわっていきます。